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産経新聞
中国の人々へ 最悪シナリオ回避のために

最悪のシナリオから考えよう。二〇〇八年北京オリンピックの女子マラソン。先頭を走る日本選手に、四十二キロの沿道を埋めた観衆から「小日本」「鬼子」と罵声が浴びせられる。それにペットボトルさえも。世界中の人々が自国の応援に集まるなか、日本の応援団だけは「中国国民を刺激すれば安全は保証できない」と中国政府に言われ、日の丸も振れないし、日本語の声援もダメ。日本選手達は、どの種目でどの国と対戦しようと、中国人観衆の怒声と相手国への大声援の中で競技しなければならない。その前に、日本ではそのようなオリンピックに参加すべきかとの議論も出ていよう。
   さらに深刻なのは十年、二十年後だ。中国の経済規模は日本を凌駕し、圧倒的なアジアの最強国家になっている。その時代に中国の政府、軍部、社会を支配するのは、嫌日感情の強い世代である。日本の国家安全保障に直結する事態となる。
   日中双方とも、今の事態の深刻さを十分認識していない。放置すればそうなるのである。

中国で、戦争を直接体験した世代よりも若い人たちに嫌日感情が強く六割が「日本は嫌い」と答えるのは、教育の所為以外の何物でもない。中国の学生たちは日本人が二千万の中国人を殺したと教育される。当時の江沢民主席は一九九八年に早稲田大学で、日本は中国の軍民三千五百万人を死傷させたと演説した。論争を避ける日本政府はこうした数字に抗議しないから、ますます中国人にとってこの数字は正しいものとなる。父母の時代に二千万人殺されたと信じれば、その加害国との友好など、どの国の若者にとっても笑止千万の話だろう。日中は、米国とイラン、インドとパキスタンのように、ほとんど不倶戴天の敵同士となってしまう。悲観論者はアテネとスパルタと言うかもしれない。

一九七二年の日中国交正常化からの経緯をよく知る人たちが、専門知識の故に、見失うことがある。それは、今や反日感情は、これまでのような「循環」ではなく、拡大深化する「趨勢」であることだ。
   第一に、組織的な愛国反日教育は九四年から行われ、反日感情の再生産は今も続いている。学校ばかりでない。中国各地に抗日記念館の建設が続き、日本軍の残虐行為の展示を、全国で年間に何百万人という小中学生が見る。この累積的な効果が、いまや臨界点を超えてしまったのである。
   第二に、一九九九年秋から中国で急膨張を続けるインターネットの伝播力がある。壁新聞の時代とは違う。以前から、中国のインターネットに「日本製品ボイコット」の語が登場する規模を検索してきたところ、結果は去年の九月が二十八万ページ、今年二月が三十九万ページ、そして現在が八十万ページだ。日本の安保理常任理事国入りに反対する署名サイトもいくつもできた。署名は秒単位で増加し、途方もない数になっている。
   第三に、経済が大躍進し宇宙開発にも成功する中国で、若者の誇りと自信は年ごとに、ナショナリズムを高めている。
   もちろん小泉首相の靖国参拝、尖閣や海洋権益を巡る日中の衝突、中国人の自国政府への不満の高まりなどの最近の事象も反日感情を加速化しているが、何よりも、ここ十年以上の「趨勢」が背景にあることが基本構図である。
   趨勢である以上、中国に「感情的にならずに冷静に」と呼びかけて済む話ではない。思えば、一九九五年の戦後五十周年が、日中の不幸な歴史の幕を閉じる最後のチャンスと思われたが、その機会は失われた。ここまで日中関係が来てしまった以上、日中双方が考えるべきことは「日中友好」などという、通り一遍の言葉ではない。逆に、国際社会で日本を孤立化させようとの今の中国の目論見も百害あるだけだ。最悪のシナリオを双方が認識し、それでいいのかと問うことから始めよう。
   中国の特に学生諸君に訴えたい。愛国の精神は当然だが、日中関係については、相手側の言い分も含め、全ての情報を知った上で判断する努力をしてほしい。例えば日本が三兆円以上の資金で中国経済を支援してきている基本的事実など、政府から聞かされていないのではないか。
   あなたがたの国には大きな能力がある。しかしそれを国家の輝ける未来に転化するためには、日本を含む世界の協力を得ること、国際ルールを踏まえることが必要だ。よく考えて欲しい。

日本側では、六十周年の今年も、九五年同様に総理談話を出すべきだろう。過去は消せないにせよ、歴史と教科書を日中が共同で検証し、せめて一九八〇年代の日中関係に戻すための戦略を日中で考えよう。中国にその用意がないのであれば、東アジアの将来は暗い。

産経新聞「中国の人々へ」 2005年4月20日 朝刊1面

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